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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)211号 判決 1998年9月01日

大阪市淀川区野中南2丁目11番48号

原告

日本ピラー工業株式会社

代表者代表取締役

岩波清久

訴訟代理人弁理士

鈴江孝一

鈴江正二

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

伊佐山建志

指定代理人

舟木進

神悦彦

後藤千恵子

廣田米男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

(1)  特許庁が平成7年審判第27425号事件について平成8年7月23日にした審決を取り消す。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和61年1月24日、発明の名称を「ガスケット用素材」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和61年特許願第14387号)をしたところ、平成7年8月31日付で拒絶査定を受けたので、同年12月28日に審判を請求し、平成7年審判第27425号事件として審理された結果、平成8年7月23日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決を受け、同年8月26日、その謄本の送達を受けた。

2  本願発明の要旨

膨張黒鉛シートと厚さが10~100μmの金属箔とを重ね合わせると共にその両者を膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱硬化性接着剤により接着させてなるガスケット用素材。(別紙図面参照)

3  審決の理由

別添審決書写「理由」のとおりである。なお、審決の甲第1号証は本訴の甲第3号証、審決の甲第3号証は本訴の甲第4号証であり、以下、これらを審決と同様に、「第1引用例」、「第2引用例」という。

4  審決の取消事由

審決の理由1ないし3は認める。同4のうち、本願発明と第1引用例との一致点が審決認定のとおりであることは認め、その余は争う。同5のうち、第2引用例に審決認定のとおりの記載があることは認め、その余は争う。同6、7は争う。

審決は、第2引用例記載の発明の技術内容を誤認した結果、相違点の判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)ア  第2引用例には、金属補強材に黒鉛シートを固定する接着剤として、エポキシやフェノール系の熱硬化性接着剤の名称が記載されており、審決は、この熱硬化性の接着剤名をもって、本願発明の接着剤(膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱硬化性接着剤)が開示されていると認定した。

イ  しかし、膨張黒鉛シートは、液体を弾く撥性のシートであるから、その表面全体に熱硬化性の接着剤をうまく塗布することができない。そのために、粘着性をもたせた粘度の高い熱硬化性接着剤を用いて、膨張黒鉛シートの表面に付着できるようにして塗布を可能にしていたのである。この場合、膨張黒鉛シートは、表面に微小な隙間(通常0.1μm以下)しかなく不浸透性のものであるから、粘着性のある粘度の高い熱硬化性接着剤では、膨張黒鉛シートの表面のみにしか付着せず、その内部へは浸透しない。しかし、それでも、熱硬化性接着剤の場合は、例えば、金属板(不浸透性のものである。)の表面に接着させることができる場合と同じで、膨張黒鉛シートの表面にイオンチャージで接着させることはできていたのである。

膨張黒鉛シートに使用される接着剤を判断する場合は、この膨張黒鉛シートの塗布性(撥性)と不浸透性の両面を考慮にいれなければならない。そして、この両面を考慮すれば、第2引用例記載の黒鉛シートに使用される熱硬化性接着剤は、極めて粘度の高い熱硬化性接着剤であり、膨張黒鉛シートを取り扱う当業者も、そのように認識するものである。

ウ  第2引用例には、「黒鉛の成型シートは比較的モロク又は柔いため貼り合せ等の作業工程で破損や傷つくという欠点がある。」(2欄11行ないし13行)との記載があることからみても、これに使用されている熱硬化性接着剤は、膨張黒鉛シートの特殊性を考慮し、粘着付与剤等を通常よりもかなり多量に入れて粘性及び粘着性を非常に高めたエポキシ・フェノール系の熱硬化性接着剤であると解される。すなわち、黒鉛シートを熱硬化性接着剤を介して金属補強材に貼り合せる作業において、黒鉛シートを位置修正する事態が起きることがある。また、黒鉛シートと金属補強材とを同じ供給速度で流して、これら両者を上下ローラの挟圧により貼り合せる連続方式では、両者の供給速度が完全に同期し難いため、貼り合せ時に、金属補強材の供給速度が黒鉛シートより速くなる変動現象が起きることがある。このような場合において、黒鉛シートを金属補強材に対して滑らせることができれば、大きな引っ張り力がかからず、破損や傷つくといった事態は回避することができる。しかし、上記金属補強材又は上記黒鉛シートに塗布された熱硬化性接着剤が粘性及び粘着性の高いものであれば、上記位置修正のときあるいは上記金属補強材の供給速度が速くなったときに、黒鉛シートは、この粘着性の高い熱硬化性接着剤によって金属補強材に引き付けられて、黒鉛シートに大きな引っ張りがかかり、破損や傷つくといった事態が起こるのである。第2引用例の上記記載は、このような事態の生じる粘性及び粘着性の高い熱硬化性接着剤が用いられていることを示しているものである。

エ  被告は、膨張黒鉛シートを接着剤の表面通過が容易な単なる粉末凝集体であるとして、その接着論から、第2引用例の接着剤が容易に推測できると主張している。しかし、膨張黒鉛シートは、膨張黒鉛粉末の凝集体であって、表面はガス等の気体もほとんど通さない最も密な構造で、表面から内部に行くに従って次第に粗になっていくものである。膨張黒鉛シートを構成している膨張黒鉛の層間距離は、0.001ないし0.0005μmであり、このような極小の隙間には、とても接着剤など浸透できるものではない。したがって、最も密で不浸透性を有する表面から内部に接着剤を通過させることが非常に難しいものであるから、一般の粉末凝集体を対象とした接着論からでは、当業者といえども容易に推測することはできないのである。

オ  被告は、岩崎二郎著「ガスケット入門」(株式会社高分子刊行会昭和57年2月10日発行、以下「甲第6号証刊行物」という。)の、膨張後の黒鉛に対して含浸剤又は付加剤が加えられている旨の記載をその主張の根拠とする。しかし、上記は、膨張させた直後の層間が開口された粉末状態の膨張黒鉛であって、膨張黒鉛シートを構成している表面の膨張黒鉛ではない。

また、被告は、第2引用例の「フック鉄板、金網等は成型時黒鉛材料をフック部分や金網目に依り強固に固着することが出来るが、平鉄板では表面をサンドブラストや化学研磨で荒し、このようにエポキシ、フェノール、ニトリムゴム系等の接着剤の塗布が必要である。」との記載をもその主張の根拠とするが、上記も、粉末状態の膨張黒鉛のことを指しているものである。

被告の主張は、粉末状態の膨張黒鉛と、これを70分の1ないし143分の1に圧縮してシートにした膨張黒鉛シートとを混同しているものである。

カ  被告は、その主張の根拠として、特開昭60-242041号公報(以下「乙第3号証刊行物」という。)に、<1>膨張黒鉛シートは、圧縮された膨張黒鉛粒子間に不可避的に微小欠陥が生じ、そのため、ガス透過度がある程度の値以下にできないこと、<2>膨張黒鉛シートは、リン酸液のごとき液体と接触すると、液が上記のごとき微小欠陥、特に間隙に入り込むこと、<3>膨張黒鉛シートに、熱硬化性であるフェノール又はエポキシ系樹脂接着剤を含浸することができることについての記載があることをあげる。

しかし、上記<1>の記載は、ガス透過度をある程度の値以下にすることができないという気体レベルの微小欠陥のことをいっているのであって、熱硬化性接着剤を浸透できるようなレベルの微小欠陥が生じるという趣旨ではない。

また、金属箔を重ね合せる膨張黒鉛シートの面は、ガスさえも極めて僅かしか通さない間隙であると考えられていたこと及び熱硬化性接着剤とリン酸液のごとき液体とは全く異なる物質であることに鑑みれば、この全く異なるリン酸液のごとき液体に関する上記<2>の記載から、膨張黒鉛シートの面に熱硬化性接着剤を浸透できると推測することはできない。

更に、乙第3号証刊行物には、可撓性黒鉛シートにフェノール系樹脂接着材を浸透させる場合には、先ずその接着材を、シートの全面を覆うようにし、シートを接着材中に浸漬するようにして減圧処理をする旨の記載がある。したがって、上記<3>の記載は、上記接着材を可撓性黒鉛シート中に浸透させるといっても、可撓性黒鉛シートの緻密な表面からではなく、粗の部分もすべて露呈された側面箇所からであり、しかも、減圧と常圧とを繰り返すといった強制操作により上記接着材を可撓性黒鉛シート中に浸透させるという方法によるものであるから、本願発明のように、金属箔を重ね合せる膨張黒鉛シートの緻密な面から熱硬化性接着剤自体で浸透させるものとは全く異なり、被告の主張の根拠とはならない。

キ  更に、被告は、特開昭60-191058号公報(以下「乙第4号証刊行物」という。)に、膨張黒鉛をシート状に成形した後に、エポキシ樹脂やフェノール樹脂を含浸させることが記載されていることをその主張の根拠とする。しかし、乙第4号証初行物記載のものは、圧縮成形される前の予備成形黒鉛シートであり、見掛密度0.2g/cm3のものである。ガスケット素材として用いる黒鉛シートは、0.8~1.6g/cm3であるから、上記予備成形黒鉛シートは、ガスケット素材として用いる最終状態の黒鉛シートではない。したがって、乙第4号証刊行物の上記記載は、本願発明の熱硬化性接着剤による浸透とは全く異なるものであるから、被告の主張の根拠とはならない。

(2)  これに対して、本願発明の発明者は、この特殊な膨張黒鉛シート、すなわち、表面は撥性と不浸透性を有すると当業者間で認識されていた膨張黒鉛シートにおいても、このシートを構成している膨張黒鉛同士の間に微小な隙間があることを初めて発見し、この発見に基づいて、この微小な隙間でも浸透させることができる熱硬化性接着剤があるかを鋭意研究の末、分子量が小さく、かつ、粘性を極端に低くできる熱硬化性接着剤であれば、膨張黒鉛シートであっても、この内部に浸透させることができ、この浸透状態で接着させることができることを突き止めたのである。

以上のとおり、本願発明の熱硬化性接着剤は、膨張黒鉛シートへの浸透性のあるものに特定されているのである。

(3)  第2引用例は、単なる熱硬化性接着剤名(エポキシあるいはフェノール系の接着剤)を記載しているにすぎないから、黒鉛シートを金属板で補強して黒鉛シートの機械的強度を向上させたものとしか認められない。

これに対して、本願発明は、膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱硬化性接着剤を使用しているため、接着剤が膨張黒鉛シートの微小隙間に髭状に浸透し、その浸透した接着剤の硬化に伴う投錨効果により膨張黒鉛シートと金属箔との接着力が非常に高められ、膨張黒鉛シートの機械的強度が向上されるのはもちろん、高温下においても接着界面での滑り(あるいは接着界面での剥離)が確実に防止されて、高温下で安定した強度を保持させることができるという当業者の予測を越える顕著な作用効果を奏するものである。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。同4は争う

2  被告の主張

(1)  従来から、膨張黒鉛シートの特性として、接着の分野における、表面の凹凸又は間隙に接着剤が入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような「浸透性」がないと考えられていたという根拠は存在しない。

(2)  むしろ、膨張黒鉛シートの抗張力が低いこと及び膨張黒鉛シートが高い弾力の原因である多くの空隙を有することを併せて考慮すると、当業者は、元来接着しにくい膨張した黒鉛粒子が集合した膨張黒鉛シートにあっては、その粒子間に隙間があったり、脆さ故の隙間があったり、小部屋空間に膨張残存した空気が圧縮により、特に表面が強く圧縮されたとき、外部に噴出した隙間等があったりすると期待することが自然である。したがって、当業者は、膨張黒鉛シートについて、接着の分野における、その部位に接着剤が入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような浸透性をもたらす凹凸又は隙間を有すると容易に推測することができるものである。

なお、甲第6号証刊行物の図2・24の膨張黒鉛の製造工程(93頁)では、膨張後の黒鉛に対して含浸剤又は付加剤が加えられているが、これは膨張黒鉛に含浸剤が含浸できるような隙間があることを示す一つの例でもある。

(3)  接着剤に要求される基本的条件は、容易に流動する物質である液体でなければならないこと、固体表面の細隙内に浸透してゆくことのできる毛管作用をもつこと、塗布後固化して一定の強さをもつことである。このことは、熱硬化性接着剤においても同様のはずであり、更に、熱硬化性接着剤の長所は、多孔質被着体に浸透し、投錨効果を通じて接着強さを高めること、接着物は相対的に耐熱性が高いこと、被着体の性質に応じて接着剤の構造を変えて親和性を高めることができることである。

膨張黒鉛シートが、少なくともその表面には、接着の分野における、その部位に接着剤が入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような浸透性をもたらす凹凸又は隙間を有すると容易に推測することができるものであるから、熱硬化性接着剤の使用に際しては、当業者によって、熱硬化性接着剤の上記長所を考慮して、被着体である膨張黒鉛シートが撥性であっても、親和性、すなわち、濡れ性が高いものであって、膨張黒鉛シートの表面の凹凸又は隙間に入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような浸透性のある接着剤が決定されているものと考える方が合理的である。

(4)  更に、第2引用例の「フック鉄板、金網等は成型時黒鉛材料をフック部分や金網目に依り強固に固着することが出来るが、平鉄板では表面をサンドブラストや化学研磨で荒し、このようにエポキシ、フェノール、ニトリムゴム系等の接着剤の塗布が必要である。」(2欄33行ないし37行)との記載は、原告のいうところの「不浸透性」である平鉄板と黒鉛材料との接着において、この平鉄板の表面に凹凸を付けて強固な接着を行うものであるから、接着の分野における、表面の凹凸又は隙間に接着剤が入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような「浸透性」に着目しているものとみることもできる。

(5)  乙第3号証刊行物には、<1>膨張黒鉛シートは、圧縮された膨張黒鉛粒子間に不可避的に微小欠陥が生じ、そのため、ガス透過度がある程度の値以下にできないこと(1頁右下欄15行ないし2頁左上欄1行)、<2>膨張黒鉛シートは、リン酸液のごとき液体と接触すると、液が上記のごとき微小欠陥、特に間隙に入り込むこと(2頁左上欄2行ないし3行)、<3>膨張黒鉛シートに、熱硬化性であるフェノール又はエポキシ系樹脂接着剤を含浸することができること(2頁左上欄13行ないし右上欄6行)についての記載がある。以上の記載によれば、前記の被告の主張に誤りがないばかりか、本出願前に、膨張黒鉛シートに、熱硬化性であるフェノール系樹脂接着剤又はエポキシ系樹脂接着剤を浸透することが知られていたことが分かる。

また、乙第4号証刊行物にも、膨張黒鉛をシート状に成形した後に、エポキシ樹脂やフェノール樹脂を含浸させることが記載されている。

したがって、膨張黒鉛シートの特性として、上記熱硬化性接着剤その他の物質に対して浸透性があることは、本出願前に知られていたものである。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録のとおりであるから、これを引用する。

理由

第1  請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

第2  本願発明の概要

甲第2号証(本願公告公報)によれば、本願明細書に記載された本願発明の概要は、以下のとおりと認められる。

1  本願発明は、例えば、石綿製ガスケットを用いることができない場合や耐熱性を要求される場合、又は低締付圧の場合に好適に用いられるガスケット用素材に関するものである。(1欄8行ないし11行)

上記用途に適したガスケットとして、膨張黒鉛シートからなるガスケットがある。その膨張黒鉛シートとは、天然黒鉛等を濃硫酸と濃硝酸、又は濃硫酸と過酸化水素混酸等によって酸処理したものを加熱することによって、厚さ方向へ200倍程膨張させ、芋虫状外観としたものをロール機等で均一にシート状にしたものである。この膨張黒鉛シートを何枚も張り合わせてプレス加工することによって、第6図に示すようなガスケットを得ることができる。(1欄13行ないし2欄6行)

しかしながら、重大な欠点として強度の弱さがあり、圧力がかかった部分が簡単に剥れやすく、取扱性の悪いものである。そこで2枚の膨張黒鉛シートの間に金属薄板を挟み込み、その三者を粘着性感圧接着剤で接着して補強することが考えられ、一部に使用されているが、普及していない。これは、強度としては満足できるものの、金属薄板を用いているので、加工性が悪く、複雑な形状の製作には適さないこと、及び粘着性感圧接着剤の耐熱性が低くて、高温下では粘性が低下し、接着界面が滑るという致命的な問題があるからである。

本願発明は、上記のような実情に鑑みなされたもので、十分な強度を保ちつつ、ガスケットへの加工性に優れ、複雑な形状の製作を可能とでき、しかも、接着界面での滑りを有効に防止でき、特に高温下での使用に対して有用なガスケット用素材を提供することを目的としている。(2欄13行ないし3欄13行)

2  上記目的を達成するために、本願発明に係るガスケット用素材は、特許請求の範囲記載の構成としたものである。(3欄15行ないし19行)

3  本願発明によれば、膨張黒鉛シートを金属箔によって補強させることで、膨張黒鉛シートが引き裂かれたりしないような十分な強度をもたせることができるのはもとより、金属箔としては、その厚さが10~100μmと非常に薄いものを使用するので、ガスケットへの成形が容易であり、かつ、その形状に伴う膨張黒鉛シートの変形に金属箔が追従して変形するために、膨張黒鉛シートが部分的に剥離することもなくて、複雑形状のガスケットの製作を可能とできる。

しかも、膨張黒鉛シートと金属箔との接着に膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱効果性接着剤を使用することにより、両者の接着時に接着剤が膨張黒鉛シートの微小隙間に髭状に浸透し、その浸透した接着剤の硬化に伴う投錨効果により、金属箔と膨張黒鉛シートとの接着力を非常に高めることができ、接着界面でのすべりを確実に防止して、特に、高温下での使用時においても、安定した強度を保持させることができる。(4欄50行ないし6欄3行)

第3  審決の取消事由について判断する。

1  乙第1号証(日本接着協会編「接着ハンドブック」日刊工業新聞社昭和53年4月10日5版発行)、乙第2号証(日本接着協会編「接着ハンドブック(第2版)」日刊工業新聞社昭和55年11月10日発行)によれば、接着剤に要求される条件の1つは、固体表面の細隙内に浸透してゆくことのできる毛管作用をもつということであること、一般に熱硬化性接着剤は、(1)被着体には早く、低温で拡散浸透し、特に木質、多孔性被着体に浸透して接着強さを高める、(2)被着体の性質に応じて、接着剤の構造を変えて親和性を高めることができるという長所を有することが認められる。

甲第6号証によれば、膨張黒鉛シートは、脆く組織が粗いので、抗張力は30~80kg/cm2程度であって、抗張力等の機械的強度が弱いという難点があること及び層間隔が開放されており、層間に空気などが存在することが認められる。そうすると、当業者は、膨張黒鉛シートには、黒鉛粒子間に、脆さ等が原因となって生じた隙間や、層間に残存した空気が圧縮されたときに外部に噴出した隙間等があると期待することが自然である。

以上の事実によれば、当業者は、第2引用例記載の発明について、前記熱硬化性接着剤の長所を考慮して、膨張黒鉛シートの面の隙間に入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような浸透性をもたらす接着剤が使用されていると理解するものと認められる。そうすると、第2引用例には、膨張黒鉛シートと金属箔とを接着する接着剤として、膨張黒鉛シートへの浸透性を有する接着剤を使用する技術が実質的に開示されているというべきである。

2  もっとも、原告は、膨張黒鉛シートは、表面はガス等の気体もほとんど通さない最も密な構造であるから、この最も密で不浸透性を有する表面から内部に接着剤を通過させるのが非常に難しいため、当業者は、上記のような理解をしない旨主張し、甲第6号証刊行物には、膨張黒鉛シートはガス、液体などに対して不浸透性を持つ旨の記載があるので、検討する。

(1)  乙第3号証によれば、乙第3号証刊行物には、「従来の黒鉛シートは、圧縮された膨張黒鉛粒子間に不可避的に微小欠陥が生じ、そのため、ガス透過度がある程度の値以下にできない。又、例えば燃料電池のセパレータに使用した場合のように、リン酸液の如き液体と接触すると液が前記の如き微小欠陥特に間隙に入り込みシートが膨れるという現象が現れるという欠点を有していた。」(1頁右下欄下から3行ないし2頁左上欄5行)、「本発明の可撓性黒鉛シートの補強方法は、熱硬化性樹脂を減圧下で可撓性黒鉛シートに含浸させ加熱硬化することからなる。本発明に使用する可撓性黒鉛シートは、・・・例えばUCC製グラフォイルが使用できる。本発明で使用する液状熱硬化性樹脂は、フェノール又はエポキシ系樹脂接着剤であり、」(2頁左上欄13行ないし右上欄3行)、「本発明の実施に際しては先ず、可撓性黒鉛シートを所定量の接着材、例えば群栄化学製フェノール樹脂系熱硬化性樹脂接着材PL-2801の入った容器中に含浸する。この際接着材がシートの全面を覆うようにする。」(2頁右上欄7行ないし11行)、「上記浸漬工程の後、黒鉛シートを含浸した接着材樹脂液を容器ごと減圧装置内に配置し、その後排気して減圧下で接着材及び黒鉛シート中の気体成分を脱気する。減圧下で接着材中の低沸点成分のガス化が始まったら・・・、一度常圧に戻し、再度減圧にする。この常圧に戻す操作により、接着材及び黒鉛シート中の気体の脱気が促進される。この減圧-常圧-減圧による脱気処理を数回繰り返した後、黒鉛シートを減圧装置から取り出し、表面に付着している接着材を除去し、その後ホットプレスして接着材を硬化する。」(2頁左下欄6行ないし末行)、「以上のような方法によって補強された可撓性黒鉛シートは、機械的強度、例えば曲げ強度、特に引掻き強度が増大し、ガス透過度が低くなり、更に後述の実施例に示すように例えばメタノール等の液体の侵入による前述のシートの膨れ現象が発生し難くなる。」(2頁右下欄4行ないし9行)との記載があることが認められる。

以上の記載によれば、乙第3号証刊行物記載の発明は、可撓性黒鉛シート(甲第3号証によれば、膨張黒鉛シートと認められる。)の微小欠陥、特に、間隙にリン酸液やメタノールが侵入するのに対して、そこに熱硬化性接着剤を浸透させてこれを埋め、リン酸液やメタノール等の侵入を防止するものと解され、したがって、膨張黒鉛シートには、リン酸液やメタノール等の液体が侵入するような微小欠陥、特に、間隙が存在し、そこに熱硬化性接着剤も浸透することが認められる。

(2)ア  この点に関して、原告は、<1>上記記載は、気体レベルの微小欠陥のことであって、熱硬化性接着剤を浸透できるようなレベルの微小欠陥が生じるという趣旨ではない、<2>膨張黒鉛シートの面は、ガスさえも極めて僅かしか通さない間隙であると考えられていたこと及び熱硬化性接着剤とリン酸液のごとき液体とは全く異なる物質であることに鑑みれば、この全く異なるリン酸液のごとき液体に関する記載から、膨張黒鉛シートの面に熱硬化性接着剤を浸透できると推測することはできない、<3>上記記載は、接着材を可撓性黒鉛シートの緻密な表面からではなく、粗の部分もすべて露呈された側面箇所から浸透させており、しかも、減圧と常圧とを繰り返すといった強制操作によっているから、本願発明のように、金属箔を重ね合せる膨張黒鉛シートの緻密な面から熱硬化性接着剤自体で浸透させるものとは全く異なる旨の主張をする。

イ  しかし、上記<1>、<2>については、膨張黒鉛シートの微小欠陥、特に、間隙に熱硬化性接着剤が浸透していると解すべきことは前示のとおりであるから、原告の主張は採用することができない。

ウ  また、上記<3>のうち、乙第3号証刊行物の記載が、接着材を可撓性黒鉛シート(膨張黒鉛シート)の側面箇所から浸透させているとの主張については、これを認めるに足りる証拠はなく、かえって、微小欠陥、特に、間隙が膨張黒鉛シートの表面に存在するからこそ、ガス透過度がある程度の値以下にできず、リン酸液のごとき液体と接触すると、液が微小欠陥、特に、間隙に入りこむという問題があったものと解されるから、熱硬化性接着剤も、膨張黒鉛シートの側面ではなく、表面の微小欠陥、特に、間隙に浸透したものと考えざるを得ないものである。

更に、上記<3>のうち、乙第3号証刊行物の記載が減圧と常圧とを繰り返すといった強制操作によっているとの主張については、上記の点に関する乙第3号証刊行物の記載が、「減圧下で接着材及び黒鉛シート中の気体成分を脱気する。・・・一度常圧に戻し、再度減圧にする。この常圧に戻す操作により、接着材及び黒鉛シート中の気体の脱気が促進される。」として、接着材中の気体成分の脱気と膨張黒鉛シート中の気体成分の脱気を同様に論じていることからすれば、上記減圧と常圧とを繰り返す操作は、次段階のホットプレスの際の加熱により気体成分が膨張して接着材等を破る不都合を回避するためのものと認められ、膨張黒鉛シートの微小欠陥、特に、間隙を負圧又は真空にして接着材を浸透させるためのものとは解することはできない。なお、仮にこれが膨張黒鉛シートの微小欠陥、特に、間隙を負圧又は真空にして接着材を浸透させるための手段であるとしても、上記微小欠陥、特に、間隙が負圧又は真空ではない状態でリン酸液やメタノール等が侵入する以上、熱硬化性樹脂も同様に上記微小欠陥、特に、間隙が負圧又は真空ではない状態でも浸透するものと認められるから、膨張黒鉛シートに対する熱硬化性接着剤の浸透が、上記手段によるものに限られるとは解されない。したがって、乙第3号証刊行物記載の発明が上記手段をとっているとしても、そのことは、上記微小欠陥、特に、間隙に熱硬化性樹脂が浸透するとの前記認定の妨げとなるものではない。

(3)  以上のとおり、実際には、膨張黒鉛シートには、リン酸液やメタノール等の液体が侵入するような微小欠陥、特に、間隙が存在するという事実があり、そのことが乙第3号証刊行物に至って初めて発見されたと認められる証拠もないのであるから、上記のごとき微小欠陥、特に、間隙が存在しないなどという、上記事実に反するような技術常識が、乙第3号証刊行物の頒布後である本出願当時に存在したと認めることは到底できない。したがって、膨張黒鉛シートはガス、液体などに対して不浸透性を持つ旨の甲第6号証刊行物の前記記載は、リン酸液やメタノール等の液体が侵入するような微小欠陥、特に、間隙が存在することまで否定しているものと解することはできないものである。

そうすると、甲第6号証刊行物の前記記載は、乙第3号証刊行物の前記記載に照らし、膨張黒鉛シートに熱硬化性接着剤が浸透するような微小欠陥、特に、間隙が存在し、第2引用例記載の発明について、上記間隙等に入り込み硬化した接着剤の投錨効果が期待できるような浸透性をもたらす接着剤が使用されていると理解することの妨げとなるものではないというべきである。

なお、原告は、膨張黒鉛シートを構成している膨張黒鉛の層間距離は、0.001ないし0.0005μmであり、このような極小の隙間には、とても接着剤など浸透できるものではないとも主張するけれども、層間距離が0.001ないし0.0005μmであるとしても、表面に微小欠陥、特に、間隙があることはあり得るものであるから、原告の主張は採用することができない。

3  原告は、第2引用例の「黒鉛の成型シートは比較的モロク又は柔いため貼り合せ等の作業工程で破損や傷つくという欠点がある。」との記載に関して、上記記載は、黒鉛シートを熱硬化性接着剤を介して金属補強材に貼り合せる作業において、黒鉛シートの位置修正のとき、あるいは上記金属補強材の供給速度が速くなったときに、黒鉛シートが、粘着性の高い熱硬化性接着剤によって金属補強材に引き付けられて、黒鉛シートに大きな引っ張りがかかり、破損や傷つくといった事態が起こることを指しており、したがって、上記記載は、粘性及び粘着性の高い熱硬化性接着剤であることを示していると主張する。

しかし、甲第4号証によれば、第2引用例には、黒鉛シートの位置修正のとき、あるいは上記金属補強材の供給速度が速くなったときに、黒鉛シートが、粘着性の高い熱硬化性接着剤によって金属補強材に引き付けられて、黒鉛シートに大きな引っ張りがかかり、破損や傷つくといった事態に関する記載は全くなく、かえって、「従来の黒鉛成型シートは比較的脆く、柔かく、又表面が滑りやすいため、貼り合せ等の作業工程で破損や傷つくという欠点があるが、本発明による方法ではシート状の単体で取り扱わないため破損や傷つきの度合いが少なくなる。」(3欄18行ないし4欄1行)として、表面が滑ることによる破損等が記載されていることが認められ、以上の事実に照らせば、原告の主張に係る前記記載が、原告主張のごとき趣旨のものと解することはできない。

4  原告は、膨張黒鉛シートは、液体を弾く撥性のシートであるから、その表面全体に熱硬化性の接着剤をうまく塗布することができないために、粘着性をもたせた粘度の高い熱硬化性接着剤を用いて、膨張黒鉛シートの表面に付着できるようにして塗布を可能にしており、この場合、膨張黒鉛シートは、表面に微小な隙間(通常0.1μm以下)しかなく不浸透性のものであるから、粘着性のある粘度の高い熱硬化性接着剤では、膨張黒鉛シートの表面のみにしか付着せず、その内部へは浸透しないと主張する。しかし、前記1の認定に係る熱硬化性接着剤の有する長所によれば、熱硬化性接着剤の構造を変えて、撥性のシートに対しても親和性を持たせることは可能と認められるところ、その場合には、膨張黒鉛シートの微小欠陥、特に、間隙に熱硬化性接着剤が浸透することは、前記2の認定のとおりであるから、原告の主張は採用することができない。

5  原告は、本願発明は、膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱硬化性接着剤を使用しているため、接着剤が膨張黒鉛シートの微小隙間に髭状に浸透し、その浸透した接着剤の硬化に伴う投錨効果により膨張黒鉛シートと金属箔との接着力が非常に高められ、膨張黒鉛シートの機械的強度が向上されるのはもちろん、高温下においても接着界面でのすべり(あるいは接着界面での剥離)が確実に防止されて、高温下で安定した強度を保持させることができるという当業者の予測を越える顕著な作用効果を奏すると主張する。しかし、第2引用例記載の発明も、膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱硬化性接着剤を使用していることは、前示のとおりであって、接着剤が同じである以上、本願発明の作用効果も第2引用例から当然に予測可能なものというべきである。したがって、原告の主張は、失当である。

6  以上のとおり、本願発明は第1及び第2引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができた程度のものとした審決の認定判断は正当であって、審決には原告主張の違法はない。

第4  よって、原告の本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日・平成10年8月18日)

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)

別紙図面

<省略>

理由

1 経緯

本願は、昭和61年1月24日の出願であって、原審において平成6年1月19日に出願公告されたところ、特許異議の申立てがなされ、平成7年8月31日に、特許異議の申立ては理由があるとする決定とともに、本願について拒絶すべき旨の査定がなされた。

原査定の拒絶の理由となった特許異議の決定の理由の概要は以下のとおりである。

「本願発明は、甲第1号証(〔「配管技術」16[13](昭49-11-1)日本工業出版P.168-176〕、以下、第1引用例という。)及び甲第3号証(特公昭55-37663、以下、第2引用例という。)に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない」

2 本願発明

本願の発明の要旨は、出願公告された明細書及び図面の記載からみて、特許請求の範囲請求項1に記載された通りの次のもの(以下、本願発明という。)と認める。

「膨張黒鉛シートとその厚さが10~100μmの金属箔とを重ね合せると共にその両者を膨張黒鉛シートへの浸透性のある熱硬化性接着剤により接着させてなるガスケット用素材。」

3 第1引用例

第1引用例には以下のガスケット素材が記載されているものと認める。

膨張黑鉛シートとその厚さが50μmの金属箔とを重ね合せると共にその両者を接着剤により接着させてなるガスケット用素材。

4 本願発明と第1引用例発明との比較

本発明のガスケット素材と第1引用例のガスケット素材とを比較すると両者間には次の一致点と相違点が存在する。

[一致点]

膨張黒鉛シートとその厚さが50μmの金属箔とを重ね合せると共にその両者を接着剤により接着させてなるガスケット用素材。

[相違点]

膨張黒鉛シートと金属箔とを接着する接着剤が、本発明にあっては、熱硬化性を有し、且つ、膨張黒鉛シートへの浸透性を有するのに対し、第1引用例発明にあっては、この接着剤の性質に関して明らかにされていない点

5 第2引用例

一方、第2引用例には

「従来膨張黒鉛等をあらかじめシート状とし、これをフック鉄板等の金属補強板の両面に接着剤で固定し、ガスケット材料を作る方法は公知であり、実際に行われている。

この一般に行われている黒鉛シートを補強剤に接着剤で貼り合わせてガスケットを作る方法では次の点に問題がある。

(1) 金属補強材に黒鉛シートを固定する場合に必ず接着剤が必要であり、接着剤には一般に有機質のエポキシ、フェノール、ニトリゴム系第の接着剤が用いられる。」(第1欄第34行乃至第2欄第8行)との記載が認められる。

ここにおいて、エポキシ系接着剤及びフェノール系接着剤は熱硬化性樹脂であることはが明らかであるから、金属補強材と黒鉛シートとの接着剤として熱硬化性接着剤を用いることが同引用例に開示されているものと認められる。

更に、ここで、接着剤が膨張黒鉛に対して撥性を有するものが使用されているとすれば、その接着能力が大きく滅却されることは明らかであるから、あえて膨張黒鉛に対して撥性のある接着剤が使用されているとみることは合理性に欠け、少なくとも膨張黒鉛に対して一定程度の濡れ性を有する接着剤が使用されているとみるのがより合理的である。

そして、膨張黒鉛シートはその内部に多くの空間を有しているものであるから、接着剤の濡れ性のため膨張黒鉛シートの少なくとも表面に近い空間部には接着剤が一定程度浸透していくものと考えることが合理的である。

以上から、第2引用例には、

膨張黒鉛シートと金属箔とを接着してガスケット素材を得るに当り、その接着剤として、熱硬化性を有し、且つ、膨張黒鉛シートへの浸透性を有する接着剤を使用する技術

が実質的に開示されているということができる。

6 進歩性判断

結局、第2引用例には上記のとおりの技術が開示されているから、この技術の示唆に従い第1引用例発明における接着剤を熱硬化性を有し且つ膨張黒鉛への浸透性を有する接着剤となして本願発明を得ることは当業者なら特に困難性なくなしえたものといえる。

7 むすび

したがって、本願発明は第1及び第2引用例に記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができる程度のものであるから、特許法第29条第2項の規定によりこの発明については特許を受けることができない。

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